2024年5月5日日曜日

「釣鐘山(つりがねやま 1395.9m)」に登る


5月5日(日) 0300起床 (ーーー)
天気 曇り
気温 16℃

0613時林道終点「釣鐘山(つりがねやま 1395.9m)」登山口


林道は終点300mほど手前で「崩壊」、然もこの林道は集落上から洗掘されて四駆以外走行不可、よって林道に止めた車が集落の大迷惑、「集落の公民館に停めてくれ!」が集落のお願いらしい



「釣鐘山(つりがねやま 1395.9m)」
歩行距離 7.3km 所要時間 5時間16分 総上昇量 851m

0550時 林道発
0613時 登山口
0635時 「西郷隆盛宿営地」
0730時 「鹿川峠」
0802時 コル
0838時~0850時 「釣鐘山(つりがねやま 1395.9m)」山頂
0923時 コル
0952時 「鹿川峠」
1050時 登山口
1106時 林道着

右端の鞍部が「鹿川峠(ししかわとうげ)」、「西郷隆盛軍」が敗走に際し高千穂に越えた峠である。和田越の戦いで敗れた「西鄕隆盛軍」が可愛岳(えのだけ 727.7m)を越えて逃れ鹿川からさらに高千穂へ逃れた敗走路である


林道終点登山口から登ること20分で「西郷隆盛軍宿営地」の標柱が立つ、今は杉林だが沢が流れ石積みが残る小さな集落だったのだろ


「鹿川峠」へは、大岩が転がる沢を右に左に渡りながら高度を上げる難路である。
見立鉱山から鉱石を運んだ峠道でもあったのだから重要な交易の道、当時の峠越は此所まで難儀では無かっただろう


峠に突き上げる崩壊沢の最上部の岩壁を左から巻いて慎重に登り上がる。


傾斜緩んだ山腹を斜めうえにトラーバースしながら登ると「鹿川峠」


「明治10年8月 西郷隆盛軍が越える」、ついこの前の歴史である


「鹿川峠(ししかわとうげ)」から1288mピーク右を巻くトラバース路を左へ歩く


簡単なトラバースでは無くお助けロープが張られた危うい岩場も越える


1288mピークと「釣鐘山(つりがねやま 1395.9m)」のコルからの登りが一番の難儀な登り、シカの食害で裸地になったドロドロの胸を突く急斜面を30分間黙々と登る



登り上がった山頂稜線を右へ歩くと端っこが釣鐘山(つりがねやま 1395.9m)」山頂、三角点は山頂標識の裏のアセビの木立の中である
ガスで山頂からの展望は効かない。


山頂からの下り山頂の北の端っこで「ヒカゲツツジ」を発見する。藪を被らない日向の「ヒカゲツツジ」である。赤に縁取られた小さな儚い花弁が可憐、これぞ山中の華だろう





下る急斜面から「阿蘇五嶽」と「祖母山(そぼさん 1756.4m)」の縦走路が一望である
「黒岳(くろだけ 1578m)」も「親父岳(おやじだけ 1644.0m)」「障子岳(しょうじだけ 1703m))」が一瞬一望である




下りの大問題は、「鹿川峠」直下の壁の如く急な「ガレ沢」の下り、下から誰も登ってこないことを確認、落石に最大の注意を払って一歩一歩慎重に下る、幸い落石を起こすこと無く下りきってホッとする。


涸れた沢に下りゴロタ石を右に左に躱して下ると「源流最初の水流」が、岩の隙間から流れ落ちる。味わわない訳には行かない「爽やかで滋味があり甘い」


「上鹿川集落」の水源もこの沢で、黒い大きなチューブが集落に引かれている
林道に降り立ち今日も無事下山する

2 件のコメント:

  1. 西郷さんは戦況はわるくなるなか、そこに宿を作って潜んでいたんですね
    記録によれば「痛風」で歩くのもつからったと覚えていますが、そんな山の中で水分もままならない中で大変だったことでしょう。家臣も西郷を信じでついてきていたでしょうから、その時を思うと感慨深いですね
    さて、5月5日は62歳の誕生日でした、併せて36回目の結婚記念日♪今後ともよろしくと今日は祝杯しました

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  2. 延岡での西郷さんは特別扱いされてます。鹿児島以上かも知れないと思うことも。敗れて敗走する西郷さんを夜半官軍を欺き険阻な峠を越える道案内をする。逆賊になることを恐れず加勢する気迫気合い心意気が今に残る。歴史は人の心の中でこう繋がっていくのかと山中歩きながらグッときます。

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