2019年3月14日木曜日

世界遺産「熊野古道(小雲取越)」を歩く


3月14日(木) 0400起床 (---)
天気 晴れ
気温 2℃

小雲取越(小和瀬の渡し跡)の駐車場に山度号を停め、0707時発朝一番の神丸行きに乗り、神丸着0718時、0744時本宮行に乗り換えて0758時下地橋下車












小雲取越出発点は「下地橋バス停」である














今日は、「小雲取越(距離13㎞)」を歩く















世界遺産「熊野古道(小雲取越)」
歩行距離 13.0㎞ 所要時間 4時間15分 総上昇量 572m 移動平均速 4.2㎞(全体平均速 3.0㎞)

0810時 下地橋(小雲取越口)発
0914時 松畑茶屋跡
0957時~1007時 百閒ボラ
1040時 石堂茶屋跡
1128時~1136時 桜茶屋跡
1225時 小和瀬の渡し跡着









0810時、バス停脇の階段を上る













熊野古道(小雲取越)は民家の軒先を通り石段を上がり山中に入って行く

























中の熊野古道(小雲取越)は石段在り






















幅2mほどの地道在り、緩い勾配で高度を上げる












「熊野古道(小雲取越)」の緩い坂を上っていると「桜の花びら」が散っている
見上げると灌木のさらに上「山桜」が咲き、朝日に照らされた淡いピンクが青い空に際立つ。紀伊の山にも春が来た






熊野古道(小雲取越)の茶屋跡に到着「松畑茶屋跡」、雑石積の石垣が残る
1739年には、四、五軒ありと云うから賑やかである











分岐や要所の案内標識は、歩いた距離と残り距離の路程付きだから分かりやすい


















熊野古道(小雲取越)は、熊野古道(中辺路)滝尻から本宮に比べ、全線格段に明るい
熊野古道(中辺路)は東西に走るが、熊野古道(小雲取越)は南北に走りほぼ稜線上を通るので射し込む日差しが明るい












そして、展望がある
第一の展望所は、「百閒ボラ」である












案内の通り、北西の「果無山脈」は実に美しい山並み、稜線の起伏に惚れ惚れする
「熊野古道」を歩いた後行くつもりである。それにしても実に美しい










西から南西に掛けて幾重にも重なる尾根と尾根、谷また谷が遥かで遠い
「野竹法師970.8m」から大塔山山系の主峰「大塔山1121.8m」が、案内板の通りすっきり立ち且つ峰から峰の稜線が鋭く切れる。「大塔山山系」の山にも「熊野古道」を歩いた後行くつもりである。







「石堂茶屋跡」の案内板に、茶屋二軒、旅客を泊めたとある。今歩く「熊野古道」の出発地、中間地点、到着地の民宿と何ら変わらない仕組みである。トレッキングシューズにザックと草鞋に手甲脚絆と云う旅装束に違いはあっても、旅の一泊の楽しみは変わりないだろう






「桜茶屋跡」の案内板に、遠くに見える参詣人を見て湯を沸かし餅を搗いたとあるから、登り上がる道の遠さとゼーゼーハーハーの厳しい登りには、茶店の餅は最高のおもてなしであったのだろう。








「桜茶屋跡」から、向かいの谷の緩傾斜地の集落が見える。紀伊の山でよく出会う山上の集落の一つ、畑地と水の便があれば高度や標高は関係ないのかも知れない
「桜茶屋跡」から南東方向の展望も良好、且つ日当てがよくて暖かい。
当然の立地と云う気がする







下りに掛ると川べりの集落が見えてくる。大きく蛇行した川の内側に集落が広がる。急峻な谷間の平坦地が、貴重な暮らしの拠点であることが其処だけ明るいことから分かる











長い歩きの後、小和瀬の渡しを見下ろすとホッとする。
今も昔も変わらない
対岸に山旅号が見えてホッとするもの


2 件のコメント:

  1. おはようございます。
    熊野古道の挑戦が続いてますね。
    昨日まで東京にいましたが、東京は西洋人ではなくアジア人が多い。働いている人も遊びたいに来ている人も多い。
    西洋人はもう何回も日本に訪れているリピーターでしょうか?日本の東京京都ではない、本当の日本を観光に来ていると聞く。
    ならばわが町でも。と頑張るしかない

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  2. 私「山旅仙人」が感じるように、歩きを、里を、森や沢、射し込む日差しを楽しんでいるとは思わないが、貴重且つ稀れな空気、歴史の遺物の存在の近さ、暮らしの身近さは、日本にしかないとは思ってくれていると思います。それは、比較する対象を自身で持っていないと感得できない。静寂は、陽の輝きは、漏れる光りの煌きは、水の透明さは、苔むした地蔵は、朽ちかけた山上の家は、全て石造りや、大荒野や、大平原、尖塔の教会等々文化があってこそ其処に暮らしているからこその評価でしょう
    何を持っているのか、何が残っているのか、何が残って来たのか、そしてこれからもこれは残ると、旅を続けていると少し見えて来たような気がします

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