5月3日(金) 0320起床 (ーーー)
天気 曇のち晴れ
気温 10℃
「祖母山(そぼさん 1756.4m)」は、5月3日(金)宮崎県高千穂町の山開きである。登山口周辺は大混雑だろうと大分県竹田市に越え「緩木山(ゆるぎさん 1046.0m)」「長尾山(ながおやま 1106m)」「越敷岳(こしきだけ 1061m)」を周回する
「緩木山(ゆるぎさん 1046.0m)」「長尾山(ながおやま 1106m)」「越敷岳(こしきだけ 1061m)」
歩行距離 8.2km 所要時間 5時間08分 総上昇量 852m
0546時 周回登山道駐車場発
0602時 作業道終点「緩木山(ゆるぎさん 1046.0m)」登山口
0722時~0730時 「緩木山(ゆるぎさん 1046.0m)」山頂
0834 「祖母山(そぼさん 1756.4m)」と「緩木山(ゆるぎさん 1046.0m)」「長尾山(ながおやま 1106m)」「越敷岳(こしきだけ 1061m)」分岐
0900時「長尾山(ながおやま 1106m)」三角点
0950時~0954時「越敷岳(こしきだけ 1061m)」山頂
1034時 林道登山口
1054時 周回登山道駐車場着
時計回りに周回する
「緩木山(ゆるぎさん 1046.0m)」に向かって杉の植林地を緩く登り上がる
次第に勾配がきつくなると大岩が行く手を阻み、右に左にロープを掴みながら大岩を巻いて登る
登山道が最急勾配になった地点が、「祖母山(そぼさん 1756.4m)」への周回路と山頂への分岐、山頂へは5分
「緩木山(ゆるぎさん 1046.0m)」山頂は、樹林の中全開の展望は無い
天文19年(1550年)時代の城跡とあるから歴史は古い
「祖母山(そぼさん 1756.4m)」山頂へ突き上げる稜線が見えるのみだが、この展望は此所でしか見られないから登った甲斐がある
「緩木山(ゆるぎさん 1046.0m)」から「祖母山(そぼさん 1756.4m)」に向かう稜線は、自然林と人工林が交互で展望は無く、稜線の岩場を数カ所越えアップダウンを繰り返す我慢の稜線歩きである。
時に現れる「ミツバツツジ」に癒やされる
杉と檜の人工林と自然林が交互に姿を現す稜線を2時間20分歩くと、稜線の最低鞍部が唯一の展望が効く箇所、「祖母山(そぼさん 1756.4m)」がガスに見え隠れする。この最低鞍部から見ても「祖母山(そぼさん 1756.4m)」の新緑に覆われた大自然林は一望の価値がある。
最低鞍部を上がると稜線の辺り一帯は「ブナの森」になる
一抱えも二抱えもあるひねたブナが稜線の彼方此方に立っている。ミツバツツジ、アケボノツツジ、ツクシシャクナゲが終盤のこの稜線では、このブナの森は見頃である。
0834時、「祖母山(そぼさん 1756.4m)」分岐に上がる
山頂は、山開きでさぞ賑やかなことだろう
「祖母山(そぼさん 1756.4m)」分岐から「長尾山(ながおやま 1106m)」「越敷岳(こしきだけ 1061m)」に向かって尾根を下ると、展望は一気に晴れる。
背後に「祖母山(そぼさん 1756.4m)」に向かって押し上げる稜線がなんとも力強い
下る稜線の正面には山頂部をガスに隠す「阿蘇五嶽」と外輪山が煙る
「越敷岳(こしきだけ 1061m)」は、下山路分岐から大岩の山頂に向かって登り上がる
山頂の大岩下に「真っ直ぐ登れ」の矢印があるが、この岩壁は登れない
山頂岩壁を右に巻いて上がると
登り上がると狭い山頂から、
藪越しに「祖母山(そぼさん 1756.4m)」、障子岩尾根、由布岳が見える。阿蘇五嶽はガスの中である。
「越敷岳(こしきだけ 1061m)」からの下り木に掛かった「名札」を一本一本確認しつつ、頭に知識を詰めつつ下る
花も終期の周回ながら、たっぷりの自然の森を味わわせて貰う
林道に降りて本日も無事下山する
竹田市の温泉に向かう道から「奥に祖母山」その手前の尾根の台形のピークが「緩木山(ゆるぎさん 1046.0m)」で右へ尾根続きで右端の「小さな台形」の岩のピークが「越敷岳(こしきだけ 1061m)」、里から斯くも一望だから皆さん登る訳だ、本日も20数人と行き会う。
25km下って竹田市「岡城天然温泉(月のしずく)、JAFとモンベルカードで50円引きの450円」で、たっぷりゆっくり湯浴みする
明日も「祖母山(そぼさん 1756.4m)」の山麓で遊ぶつもりである
今日も一人山行きみたいですね
返信削除奥様の調整ができないのか?調子悪いのか?山のコンデションが良くないのか?
二人で移動すれば、淋しくないけれど何かとぶつかることはないでしょうか?
連れは目下膝の養生中で山は眺めると決めている様子、それでも山旅号が連れて登ってくれる山でははしゃいでいる。一人山旅では調子を合わせる必要が下りなど走っている。
返信削除所が共にする車旅となると気に入らないことが多多発生する、其処は怒鳴って終わりになるやら我慢するやら、それも軽く受け流されているような気がしないでもない。