3月25日(月) 0330起床 (---)
天気 晴れのち曇り
気温 -1℃
早起きして真っ暗な林道を、ゆっくりゆっくり慎重に大塔山登山口へ走る
登山口は、30㎞走った林道の奥「宗小屋橋」、この登山口は大塔山系の主峰「大塔山」と標高差1.6m違いの次鋒の「法師山(ほうしやま 1121m)」でもある
橋を渡った左に10台程の駐車スペースがある
「大塔山(おおとうさん 1122m)」「一ノ森(いちのもり 1058m)」
歩行距離 14.3㎞ 所要時間 5時間43分 総上昇量 897m 移動平均速 4.0㎞(全体平均速 2.5㎞)
0600時 宗小屋橋発
0640時 大塔山登山口
0750時~0800時 905峰縦走路分岐
0835時 「一ノ森(いちのもり 1058m)」山頂
0848時 弘法杉分岐
0913時~0923時 「大塔山(おおとうさん 1122m)」山頂
0938時 弘法杉分岐
0955時 「一ノ森(いちのもり 1058m)」山頂
1026時~1030時 905峰縦走路分岐
1106時 大塔山登山口
1143時 宗小屋橋着
大塔山に取付く登山口は、「安川林道」を3.46㎞入った林道終点である。通行止めにはなっていないので車で入れるのだろうが、未舗装林道しかも初めて、路面と崩土の状況が分からないので歩く。
この時期の0600時、朝日が射しているのだが谷底から西の稜線を見上げると黒々とした山の上に月が掛かる。手袋に耳覆いと云ういで立ちにぴったしの寒月である
未舗装の林道は、崩土は少々路面流出は数か所で岩盤露出それでも無理すれば山旅号が走れる。しかし、パンクが怖い、崩土の欠片石がナイフのように見える
林道歩き40分で、大塔山登山口、車は5台は十分駐車可能
登山口にはしっかり表示されている「熊出没」の看板、今日は「熊スプレー」を持っている
取り付いた尾根は、905峰迄休むことのない一直線の急登、ただただ上部へ上部へと杉・檜の植林地を上がる。その勾配は時に両手で根っ子を摑む程。
登り上がったピークは「905峰」、法師山から大塔山への縦走路の小ピーク、此処で縦走路に合流する
「905峰」から「一ノ森」への登りは、シャクナゲの群落のトンネルの細尾根、まだ時期は早いのだがシャクナゲの花のトンネルの見事さは相当なものと見た
そのシャクナゲの細尾根に大ブナが立つ、大塔山の豊かさの一部である
「一ノ森」の細尾根に続く斜面は、「905峰」への登りに劣らぬ急斜面
其の急傾斜の細尾根を「ブナ」の根がっしり摑んでいる。その根を踏んで登る
「一ノ森(いちのもり 1058m)」山頂は、灌木と杉林に中展望はない
灌木越しに「法師山」が遠く見え、「大塔山」が逆光で黒々である
「一ノ森」と「大塔山」は、二つで一つの「双耳峰」である
「一ノ森」と「大塔山」の鞍部は、広くゆったりした杉の林である
そして、弘法杉ルートの分岐でもあるらしい。標識が行く先を示している
鞍部から「大塔山」に向かって登ると「ナンキンセダカコブヤハズカミキリ」とある
「天然記念物」和歌山県平成28年とある
その生息域の指定範囲
「ブナ」も「カミキリ」も「大塔山」である
「大塔山」への登りから振り返ると左「法師山」、右「一ノ森」
「法師山」は遠く、「大塔山」と1.6m違い」しかし尖塔で存在感は一番
「一ノ森」は、均整がとれた山体がその丸い山容と共に重厚かつ立派である
「大塔山」山頂部の「ブナ」は一際大きい、他を圧倒する大きさである
「大塔山(おおとうさん 1122m)」山頂は、フェンスとネットに囲まれている
固く固縛されたネットの開閉口を解き、中に入って納得
「大塔山山頂の保全」、「ブナ」伐採後草原化した山頂を「もう一度」という取り組みである
山頂部のこの見事な「ブナ」が復活して欲しいと切に願う
「法師山」そして「大塔山」への縦走路も、フェンスの網目にレンズを入れて撮る
フェンスの中、シカの食害から守られた幼木が少し邪魔なのは、嬉しい事である
登山口から林道を下りつつ朝は気が付かなかった「ミツバチの巣箱」が、林道の切土崖に掛けてある
余程巣作りするのかその数は、10基を遥かに越える。花が豊かなのだろう
宗小屋橋を登山口とする「法師山」を帰りに確認すると「吊橋」から尾根に取付く
こっちも相当に手強い登りらしい
春満開を林道崖の「ミツバツツジ」で知りつつゆっくり慎重に林道を下る。
おはようございます。
返信削除連日の懇親会、送別会でヨレヨレの状態から脱出できない状態で、拝見しております。
ブナの木の根っこの写真凄いですね。しっかりと山に掴むように生きているんですね。
眺望もなく、自然の山を再生しようとしている取組みは長い長い戦いですね。しっかりと次の時代に引き継がれなければならない。
見ていて奈良漬状態の頭で考えることでした。笑
樹齢数百年、人間ならば数世代立ち尽くすだけの稜線のブナを見るとやはり感動する。いつも、変わらず、同じ思いで震える。自然の中で生き抜いてきた其の様に心が震えるのである。たった30数年働く間に如何に動揺、惑い、憂鬱であったことが、樹齢数百年と向き合うとその時々の心持が蘇るのです。それでも後悔はないといつもいつも対話しています。山は実に好いものです
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