1月22日(水) 0420時起床 (ーーー)
天気 晴れ
気温 2℃
0740時徳山港発大津島行きフェリーが出航する。車5台、乗客十数人何れも仕事関係の方々、ザック担いだのは山旅三昧一人である。
石油精製、石油化学、無機化学、鉄鋼、セメント等の周南コンビナートの工場群から朝日が上がる中「大津島」に向かう
大津島の刈尾港に立ち寄り40分で馬島港着
馬島港で迎えたのは「ようこそ回天の島 大津島へ」の大看板である。言わずと知れた「人間特攻魚雷 回天」である
歩行距離 8.7㎞ 所要時間 3時間05分 総上昇量 506m
0835時 馬島港発
0935時~0945時 山口県周南市・大津島「No44 大津山(砲台山174m)」山頂
1030時 「回天記念館」登り口
1046時~1102時 「展望台(鬣山 たてがみやま 167m)」
1140時 馬島港着
港から右へ海岸沿いの道を歩く、無風快晴、太陽燦々まさに瀬戸内海の早春である
20分歩くと「砲台跡」の案内板が有り、分岐した歩道が山に向かっている。落葉の積もった歩道を上っていくと行く手には「倒木」あり
「竹藪」あり
「倒竹」が道を覆うので「潜ったり」「跨いだり」忙しい
山頂へ登り上がる道の下の沢には「イノシシのヌタバ」が有る。道の至る所掘り返しで歩くのも難儀する。
海岸沿いの道から40分歩くと山口県長門市青海島「しまやま100選No45(高山 319m)」の山頂、其処には「指揮所」の案内板が有る
その案内板の先、竹藪の中に「大津島砲台跡」の大看板が建っている
装備 12.7cm 高射高角砲
13mm 単装機関銃
150㎝ 探照灯
兵員 士官(1人) 准士官(2人) 下士官・兵(51人)
「もう一つの大津島の貴重な戦跡」とある
「回天の戦争の記憶」と「もう一つ」と云うことだろう
暖かい日差しの中砲台跡も今や藪の中、静かである
海岸へ下るとその時代にも咲いていたであろうスイセンが咲き、白と黄色のコントラストは今も青い海に似合っている。
「大津島」メインの押しは「回天」と「回天記念館」だ
「回天記念館」は本日休館でメンテナンス中である。「回天記念館」から「展望広場」へ上がる遊歩道は、「大津山(砲台山)」への道との整備の具合は「雲泥の差」、見事に掃き清められた道が「展望広場」に上がっている
途中の「魚雷見張所」もゴミ一つない、力の入れ具合が違う。
山頂の「展望広場」には「未来の風」のモニュメントが建つ。戦争の時代から平和な未来へのメッセージだろうか
そしてこの展望台は「鬣山(たてがみやま 163m)」の山頂である
「回天記念館」の人間魚雷:昭和19年(1944年)九三式魚雷を改造して・・・ とある。
「特攻魚雷」である。
この「特攻魚雷 回天」を前面に押し出した「大津島」は、歴史をそのまま受け止めた今の島の在り様を発信しているのだろう。
真島港発徳山港行き1110時連絡船に10分間に合わず、連絡船は港を出ていく。
そう云う事態も想像したうえ待ち時間は「釣り」で過ごそうと「竿」「リール」「仕掛け」をザックに忍ばせて島に渡っている。が、そう簡単に食ってくれるはずもなく時間を楽しく使ったのみ。
大工業地帯周南コンビナートの沖に「特攻魚雷回天」の島がある。山口県長門市大津島「しまやま100選No45(高山 319m)」は、島の生い立ちや歴史を前面に押し出している、
「しまやま百選」は、島それぞれの有様を「山」で知ってもらおうということだろうか。
明日は、下松市の「笠戸島」の山に登る
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