12月19日(日) 0330起床 (ーーー)
天気 雨時々晴れ
気温 3℃
キビナゴの天麩羅を肴に好い気分になって就寝
0330時 何時もの様に何時もの時間に目が覚める
何時もなら即起きて「ヨッシャー」と気合が入り、顔を洗い嗽を済ませてお茶の準備をして朝散歩の着替えを済ませる
ところが気合が入らない「日曜日、こんな朝早く歩くのか?」等と怠け心が
それでも気合を入れ直して「顔を洗い」「嗽」をし「朝一杯のお茶」を沸かして飲む
何時もの通り「雨雲の動き」を確認すると、なんとまあ「雨」が降る
「そう云う事だったんだ」と納得する
山旅でも時にある感覚である「気合が入らない」「登るか?」「行くのか?」と云う常と違う気分、雰囲気、のらないこんな朝は山に行かない登らない
準備不足、天気の変化、アクセス道路など其の日は何処かに何か問題が生じているから感じるのだろう
今朝は正に此れだ、雨を感じていたのだ、山から下りて一ヶ月あの感覚が生きている
「雨が降る」感じていたのだ
昼間も降ったり止んだりの一日
炬燵に入りパソコンを開き「年賀状」を拵える
山旅十年、新型コロナの隙間に特別な山を登った今年を振り返りつつ、撮り溜めた写真を選別する
この時のみ一年が蘇る
おはようございます。
返信削除そうなんですね。乗り気にならないときは、それなりの天候とかちゃんと身体が反応しているんですね。
考えると環境が大切ってこと。職場環境も同じことだなーと思いますので、朝起きて行きたくないことかないようにしなければなりまけんね。笑
態勢を整えていく過程で大事にしているのがこの感覚であるのは確か、だから言わんこっちゃないという事にだけはしたくない。言葉で説明できない感覚が自らを守ることに繋がると思っているからだろう。単独行動だからこそ大事な感覚である。
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