7月7日(日) 0340起床 (ーーー)
天気 濃霧&雨
気温 14℃
納沙布岬に立つも濃霧で展望は無い、歯舞諸島が直ぐ其処に見える海は「北方領土今日の現実」の如く視界不良、展望は開かぬ。「四島のかけ橋」のモニュメントが濃霧の中に浮かぶが遠い未来を暗示しているような気がする
納沙布岬で北方領土のなんたるかを知るには0630時根室市の資料館は0900時開館、時間があまりにも早い。
根室市内の「道立北方四島交流センター」で知るしかない
「道立北方四島交流センター」に向かった走っていると濃霧と冷たい風の中に「北方原生花園」の案内板がある
花の種類も数も高架歩道脇では種類が少ない、「ヒオウギアヤメ」風に揺れるが花弁の金の筋は流石に秀逸である
「北方原生花園に」放たれているポニーも濃霧の中、余りに遠すぎてぼんやり、触れ合いを期待していた身には遠すぎて「馬と原生花園」の北海道の実感がないのが惜しい。それでも地元のお父さんはじっと遠くのポニーの様子を伺っている風で全く動かない。湿原もポニーもこのおじさんも毎日この時間に此所に立つことで、北の現実を今日もしっかり受けて停めているのだろうか
納沙布岬で根室市の北方領土資料館を見ることは叶わなかったが、根室市内の「北海道
立 北方交流センター」で北の島々の歴史を学ぶ
「最上徳内」 1785年蝦夷へ
「近藤重蔵」 1799年クナシリ島へ
「高田屋嘉兵衛」 1812年ロシアに捉えられ
「松浦武四郎」 1857年から再々蝦夷を探検
「司馬遼太郎」は、「菜の花の沖」で北海道、北方領土の捉えられたしまったその意味が分かるような気がする。一瞬で国境が変わる現実は此所でしか見ることが出来ないかも知れない、それを伝えたかったのだろうか。
展望室からも濃霧で「北方領土」は見えない
国を失い、領土を失うという哀しみは此所に立たないと分からない
それでも一階の日本文化ホールは純日本間である
その部屋に「第四十二期」王位戦第一局 「羽生善治・屋敷伸之戦の封じ手」が掲額されている。日本将棋連盟の試みに大拍手である
厚岸では夏でも牡蠣が食せる
昼酒、昼牡蠣を狙っている
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