2015年3月22日日曜日

七ヶ宿スキー場から「峠田岳(1081.7m)」


3月22日(日) 0500起床 (---)
天気 快晴
気温 -2℃

今朝も快晴、雨は夜らしい
予定通り、「七ヶ宿スキー場から峠田岳(1081.7m)」に登る

コースタイム
0820時 スキー場駐車場発
1000時 第四リフト終点
1030時 峠田岳(1081.7m):竹の沢
1100時 第四リフト終点
1140時 スキー場駐車場着

山行記録
案の定スキー場は今季の営業を終了していた
スキー場駐車場から登ることになった。
雪はたっぷりに見えるが、上部最急斜面は雪が割れているのが見える。
雪を割ってバンガローまで道を開けてあるので、滑走斜面は分断されていた
其れでも、雪タップリの斜面を登り上げる。
貸切の斜面を登って行くと、高度が上がるにつれて展望が開けてくる








此処ではやっぱり蔵王です
山が大きい、と云うより山体が半端じゃなく大きいので、「山形蔵王」とか「宮城蔵王」とか、オラが山と云うのは分かりやすい。
スキー場左斜面を登って行くが、雪が切れているのでスキーを脱いだり又履いたりと急斜面を登る。
第四リフトまで中央斜面を登っているパーティーもあったようだ






結局、第四リフト終点までがこのコースの核心だった。
第四リフト終点から狭い尾根をスキーで登って行く
潅木が生えた斜面で、スキーでも十分登って行ける
山頂にアンテナ塔があるのは興醒めだけれど、山頂までスキーで登ることに価値がある







山頂は貸し切り、360度全周雪山眺望絶景
山頂までは、締まった雪なのでスキーより坪足が早く且つ楽ちんかもしれない。













第四リフトからの中央コースは、最急勾配35度と注意書きがあった。
山頂で履いた アイゼンそのまま最急コースを下る。









流石に急斜面、尻せーどで下りたパーティーもあったのか痕跡が生生なしく残っていました














安全斜面まで下って見上げると、無人貸切斜面が広がっていました
営業が終了したスキー場にも、お客さんは訪れます。
雪が有れば如何様にも遊べるのが嬉しい








今日の出来事
準備していると隣に車が一台
若いお兄さんが遊びに来たらしい
ご挨拶
パソコン睨んだお仕事とか、スキーの熟達者と見た
小学校三年生からスキー履いてると云うから、下駄みたいなもんなんだろう、何処でも、如何なる斜面も楽々だろう。
そんな風に滑ってみたいものだ
今日も、山頂からはスキーを背負って、再急斜面を抜けた。情けない。
とは思うけれど、滑る技術が不足だからしょうがない。
それでも下部の広々斜面は、私の斜面貸切で斜面全部を使っておりました
片づけながら、スキー場を眺めると急斜面が迫ってくる
急斜面は、もう十分、参りました

4 件のコメント:

  1. 今日ご一緒させて頂いた@山口です。
    最高の時間を過ごす事ができました、ありがとうございました。私は貸し切りのゲレンデを堪能しましたよ。

    ところで、山形の地酒手に入りました?

    また何処かでお会いしましょう。

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    1. 白石市蔵王酒造の「蔵王の生」、焼酎飲みにとっては水みたいに美味しい。飲み過ぎる所以です。あなたみたいに滑れれば、あの斜面も最高だろうけど、下手な私には難行苦行、ほとほとでした。それでも最後の緩斜面は最高でした。てっぺんからみた不亡岳は、最高です。次も下手くそスキーで挑戦です。天気が回復するのが楽しみになりました。楽しい時間をありがとうございました。またの再会を楽しみにしてます。

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  2. こんばんは
    良いですね。出会いがあり、旅は最高ですね。
    ストレス社会のなか、自分をコントロール出来ないとダメですね。そんな意味では何事も負けずにやり通すことが大切ですね。
    一緒に働いている若手は毎日忙しい仕事のなか、土日はマラソンにエントリーしている。出来る時にサボると人生楽しくないですね。笑いも楽しさも倍増!!辛いからこそ達成感で倍増!!
    ラスト一週間、気張ります!!おやすみなさい。

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  3. 子運だったのはアメリカに派遣してもらったこと。「ゴーストタウン」になる寸前の町の危機を救った、たった一人のおじさんを目の当たりにして「腹が決まった」。そん後の街づくりや改革、現場主義は全てはこの一点だった気がする。たった一人でもできる、今に媚びない、10年後20年後の将来と今を繋ぐことに賭ける。と云うようなことだった気がする。
    上司に、同僚に、後輩に、世間に好かれることなど論外だった気がする。孤高を貫くことが、アメリカのおじさんがやっていたのはこれだった。先人が居たので成功疑いなし楽しい仕事だった気がする。その頃から「仕事? 趣味だもの」と云う気がしてきた
    媚びずやり遂げる、それを愉しむに限るかも知れない。家族も無理やり理解していたのかも。しょうがないそれが「宇宙人」

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