2023年2月6日月曜日

瀬戸内海を展望する周防アルプス「三ヶ嶽(みつがだけ(西岳) 487m)・琴石山(こといしやま 545m)」と朝鮮式山城の神籠石の大ロマン「石城山(いわきさん 362m)」を巡る


2月6日(月) 0450起床 (ーーー)
天気 曇り
気温 1℃

昨夜は周防大島の中程にある「道の駅 サザンセトとうわ」で瀬戸内海に浮かぶ島を眺めながら満月の下深々と冷える中お湯割りの焼酎を楽しむ。
0710時、道の駅から20㎞走ると大畠瀬戸に掛かる周防大島大橋、その背後に琴石山(こといしやま 545m)が重なって見えている


瀬戸内海を展望する周防アルプス「三ヶ嶽(みつがだけ(西岳) 487m)」

歩行距離2.7㎞ 所要時間 1時間12分 総上昇量 218m
0815時 三ヶ嶽林道三ヶ嶽峠発
0840時 三ヶ嶽(みつがだけ(東岳) 501m)山頂
0847時 三ヶ嶽(みつがだけ(中岳) 483.8m)山頂
0851時 三ヶ嶽(みつがだけ(西岳) 487m)山頂
0855時 露岩展望所
(引き返し)
0927時 三ヶ嶽林道三ヶ嶽峠着

周防アルプスを北から回り込んで柳井市日積(ひづみ)地区から三ヶ嶽林道で三ヶ嶽峠に上がる。
三ヶ嶽峠から左へ三ヶ嶽(みつがだけ(西岳) 487m)を往復し、さらに右へ琴石山(こといしやま 545m)を往復する


三ヶ嶽電波塔群の管理道路が登山口、管理道路を歩くよりもと稜線の遊歩道に入る


すると、「大正十五年五月二十九日  皇太子殿下手播松植樹地 昭和四年三月移植」の石碑が建つ、四境の役(長州征伐)も遠くなりにけりと云う時代だったのだろうか


三ヶ嶽山頂直下のこれでもかという急坂を登り上がると電波塔群の三ヶ嶽(東岳)


刈払いされた山肌に平成21年~23年、平成27年~29年に植栽された桜の幼木が植えてある


三ヶ嶽(みつがたけ(東岳) 501m)山頂、電波塔が建つ山頂だが北東方向に山陽道と瀬戸内海、北に中国山地の展望が広がり真正面に琴石山(こといしやま 545m)。


西に見える台形の山頂の山が「石城山(いわきさん 362m)」だろう
次に向かう山だ


(東岳)を越えて下り登り返すと「三ヶ嶽(みつがだけ 中岳 483.8m)


更に下って登り返すと四等三角点の「三ヶ嶽(みつがたけ 西岳 487m)」


展望が有るのは更に進み下った露岩
眼下に柳井市街地


柳井の港に中国電力の火力発電所が圧倒的、其処に液化LNG船が接岸荷揚げしている
柳井市はエネルギーの町でもあるようだ


展望を楽しんで峠に戻る

瀬戸内海を展望する周防アルプス「琴石山(こといしやま 545m)」

歩行距離 3.5㎞ 所要時間 1時間55分 総上昇量 280m
0936時 三ヶ嶽林道三ヶ嶽峠発
1027時~1055時 「琴石山(こといしやま 545m)」山頂
1131時 三ヶ嶽林道三ヶ嶽峠着

三ヶ嶽峠から琴石山に向かう


稜線には広く整備された遊歩道が伸びるも急坂となれば木段が有る、山頂まで急坂は至る所に木段、設置者は遊歩道を雨と流水から保全する目的と利用者の便の為だろうが、山では木段、階段ほど手強い物は無い。自分の歩幅と蹴上げとペースで登れないので延々と続く階段は相当に体力、脚力を消耗する。良し悪しだが良しとしなければなるまいと観念して頑張るのみ


急な階段を登り上がった山頂手前のピークが「鉄砲台展望地」、山頂までは小さなアップダウンの尾根が続いている


山頂に向かう稜線には柳井市側から二つのルートが上がっている、稜線を挟んだ両側から様々なルートが付けられ楽しまれているらしい、桜の植栽と同様愛されている山だ


最後の急坂を一気に登り上がると「琴石山(こといしやま 545m)」山頂
展望は全周の360度、七つの山名板が夫々の方向を指し示している


周防大橋の瀬戸内アルプスの茶臼山・嘉納山・源明山・嵩山



瀬戸内の島々




柳井市街地と島々




1115時、下るっていると中国電力箭内発電所桟橋からタグボート6隻が掛かってLNG船が離岸する。


日本のエネルギーを担うLNG船の再びの航海の始まり輸入に頼る日本の生命線でもある。最敬礼

朝鮮式山城の神籠石の大ロマン「石城山(いわきさん 362m)」

歩行距離 3.6㎞ 所要時間 1時間17分 総上昇量 172m
1243時 駐車場発
(石城山神籠石周回)
1400時 駐車場着

20㎞西へ走ると山麓に石城山神社の鳥居が建っている


「石城山(いわきさん 362m)」山頂には神社が祀られている
この山、多くの神様が祀られた「神社」の山でもある



そして山頂からは、瀬戸内海を展望する周防アルプス「三ヶ嶽(みつがだけ(西岳) 487m)・琴石山(こといしやま 545m)」と周防大島の瀬戸内アルプスが見える


国指定文化財 史跡石城山神籠石(いわきさん こうごいし)とはと斯く案内されている


「巨石を帯状に一列に並べて山の中腹から八合目あたりをぐるりとはち巻き状に取り囲んでいる古代の大土木工事の遺構に付けられた名称」


「石城山神籠石の列石線は総延長二千五百三十三、五四メートルにも及ぶ大規模なものである」


「昭和三十八ねん、三十九年(旧)国の文化財保護委員会・山口県教育委員会・(旧)大和村の共同による発掘調査の結果、従来知られていなかった人枡・柱穴・版築工法により大土塁が数百メートルにわたり発見され、神籠石式古代山城一つであると云われている」
と云う、土木屋としては見逃せない重要な遺構なのである
巨石とも呼べる大きな列石が山の斜面に整然と並べられている。機械力の無い時代に斯くもおおきな石を一個一個切り出し、運搬し、積むと云う途轍もない労力は如何程の労働力で為されたのかを考えると絶望するほど途轍もない事業である。



更に列石が谷間を横断する場所には、数段に分けて高い石垣が築かれその中央下部には水門を設けている


七世紀から八世紀の遺構と云うから1500年から1600年前の大規模土木工事である。それが今眼前にしっかりと姿を見せている。如何に堅牢であるか、如何に丁寧な施工であるかの証座である。土木屋たるものこうでなくちゃなりません。
だから現場に行くべしなのです

5 件のコメント:

  1. やぎちゃん2023年2月6日 21:41

    順調に進んでいますね。毎回見ているとその山々の良さが伝わってきます。明日から中国四国地方は天気が下り坂なので気をつけて下さい。

    返信削除
  2. こっちのルートには大正から昭和の皇太子殿下播種の松、此処には平成29年の桜植樹、かと思えば隣の山には1500年~1600年前の列石の山城と云う時代を越える山旅に嵌まっています。想像力では引けを取らない積りながらこの時間の長さを隣り合った山で理解するのは相当に困難です。が、これを知るのも其処に人の暮らし営みが有ったからこそですから、ついついその時代の人の暮らしに想像を膨らませてしまいます。思うに身の回りの世界の広さは今と大して変わる筈も無い、となれば我々が思うほど不便でもなく貧しくも無くごく普通に幸せだったのだろうと思ってしまいます。私だって今幸せですもの。

    返信削除
  3. おはようございます。
    今も昔もインフラが大切で、その時の労力をマックスにして生活や威厳を守っていたことがわかります。
    邪馬台国は福岡だけでなく、瀬戸内や四国との説もある。
    タイムマシンがあれば見てみたいですね。

    返信削除
  4. ぬの にんに2023年2月15日 7:54

    ↑はぬの にんにでした。

    返信削除
  5. 驚きます、2500m構築、石を摘み土を盛る。現在の単価で工事費を積算した如何程?時の権力者はそれ程の黄金を持っていた。途方もない。そんな時代が瀬戸の海や周辺の丘にゴロゴロしている。薩摩だってゴロゴロしているが瀬戸のゴロゴロは至る所、山にも海にも目の前にあるから,
    もともと権力者にとってはポテンシャルが高い地だったと云う事だろう。歩いていて飽きないもの

    返信削除