12月10日(日) 0600起床 (---)
天気 曇り時々雨
気温 4℃
雨が降ったり止んだりの一日が暮れる
静かな夕暮れである
田舎の一軒家なので静かなはずなのだが、なかなかそうはいかない
車、訪問者、チャイムが、時々鳴るだけなのだが、耳はうるさいと感じているらしい
その田舎の一軒家が、静かなのである
改めて、田舎の静かさを耳が教えてくれる
静かなことは贅沢なのだ
山はさぞ静かだろうと思われるかもしれないが、此れが音の饗宴の中である
沢音、風が揺らす木々の音、鳥の鳴き声etc、自然の声や音に満ち溢れている
耳が聞こえ辛くなっているけれど、雨上がりの静かな夕暮れは心まで凪いで来る
初めてであったような気になる
音楽で、無音の時間が有ることがどれ程素晴らしくて難しいことか・・。
返信削除楽器を前にして何も音を出さないこと、単純なこと、しかし確かに聴いている人には或る音とリズムが感じられる・・ そんな演奏がしたい・・と思ったのはまだ社会にでる前の事だった。そう、静かなことは贅沢なのです!!!
おはようございます。
返信削除静かさですか?
確かに田舎である自宅では感じたことがありせん。
遠くですが、工場のボイラーの音がしますので、シーンとした静かさはありませんね。
ここに家を作る前は踏切の近くでしたので、それからすれば静かなのですが。。
*暫く「静かなのだ」と気づくまで時間がありました。何かいつもと違う、そうか静 かなのだ、という具合です。風もなく、陽が沈んでいく、その残光が山のシルエットを浮かび上がらせる。どこかでいつか見たような、そしてこの静けさは「耳」にあるとも思い出す。静かさが「耳」にあるとは妙な物言いですが、「耳」にあるのです。だから思い出したのかもしれません
返信削除*田舎に住んでいるとこんなことが有るんです。空に雲が流れているのに流れるだけで「耳」には何も聞こえない。草は揺れているのに「耳」には何も聞こえない。音はあったかもしれない、しかし「耳」には音はない。このような静かな時間はを持てるのは少し自慢かな