2018年10月14日日曜日

「七尾城山(ななおじょうやま 380m)松尾山とも呼ぶ」「石動山(せきどうさん 564m)」「碁石ヶ峰(ごいしがみね 461.1m)」


10月14日(日) 0430起床 (---)
天気 晴れ
気温 11℃

昨夕発見したコインランドリは0500時開店、早起きして即開始、洗濯35分、乾燥20分〆て600円。何時もなら行動後のコインランドリーもこの時期になると夜明けが遅いので朝コインランドリーでも十分間に合う。
今日は三山「七尾城山」「石動山」「碁石ヶ峰」、左手親指第一関節と第二関節の間を右往左往する

「七尾城山(ななおじょうやま 380m)松尾山とも呼ぶ」
0815時 展望台「松尾山 380m」:七尾湾から能登半島の展望
展望台「松尾山 380m」に上がる道脇に七尾城の歴史が語られる
その一・その二












その三・その四
















その五・その六 畠山氏、上杉謙信知ってはいても歴史の中である








七尾市街地と七尾湾が一望、畠山氏も、上杉謙信もこの高みからこの景色を眺めていた
歴史を知るとはその場に立つことなのでしょうか






0840時 「七尾城山(ななおじょうやま 380m)」、「松尾山 380m」とは峰違い歩いて30分で車で5分で七尾城址












本丸跡から七尾湾が一望、静かに広がる大きな湾と能登島だから豊穣の展望である












大杉の木立の中に残る石組みが堅固が故にその上の人と楼閣が夢、幻なのが良く分かる












「石動山(せきどうさん 564m)」
歩行距離 4㎞ 所要時間 1時間40分 総上昇量 153m

1010時 石動山資料館発
1040時~1043時 「石動山(せきどうさん 564m)」山頂
1115~1120時 パノラマ展望台
1150時 石動山資料館

先ずは石動山の歴史を知る。今日10月14日は「石動山秋の集い」は行われている













太鼓の音を聞きながら伊須流岐比古神社に参る
社殿ではこれから「五社権現本地仏」が公開される










往古には360余坊、3000人の宗徒が居たという跡がいたる所にある。その跡地は今や大欅の道、大ブナの道の脇に礎石のみである


















風が吹きぬける石段を30分あがると「大御前(石動山山頂)」、小さな社が建つ
色づき始めたブナの大木が立つだけの山頂がこの秋の空に実に相応しい











稜線につけられた道に厚く積もった落ち葉と両脇の大木が心地良い、この感覚は久方ぶりである。
















石動山資料館に下ると「石動山秋の集い」の方々がテントの下で鍋を振舞っている
「どうぞ」
「有難うございます」
豚汁とイノシシ汁どちらでもどうぞと仰る
当然「イノシシ汁」、美味しくいただく








「碁石ヶ峰(ごいしがみね 461.1m)」
歩行距離 750m 所要時間 21分 総上昇量 50m

1250時 林道駐車場発
1300時~1307時 「碁石ヶ峰(ごいしがみね 461.1m)」山頂
1311時 林道駐車場着

石道山から一旦山を下りて県道に乗り再度石川県立少年自然の家に登りあがる。そのまま林道を先に進むと、山頂直下を林道が走る
目の前に山頂である











木段を一気に登る
















切り開かれた広い山頂に上がる
この展望は想像すらしなかった
左側には「日本海」が迫り、右側には「七尾湾」が深く陸地に切り込んでいる
左右の海が一望、能登半島を丸侭展望する









更に、剣岳から立山連峰が一望と云うから凄い
しかし、そうは旨く行かない今日は氷見市の先に見える筈の立山連峰はガスの中である











この方向にこう見えるとある
ここまで富山湾越しの新潟県、富山県の山は見ていない
なのだが、山頂直下まで車が上がる楽しみを覚えてしまいそうである


4 件のコメント:

  1. 尋ねてみたら「イノシシ汁」が待っていたというおめでたい話でした

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  2. おはようございます。
    氷見市が見えるという事は、能登半島の東側に位置する所まで来られたってことですね。
    天気も良く、景色も良いですね。
    立山連峰が見えなかったのは残念ですが、その一文で大体の位置がわかりました。とても今後も行けるような場所ではないことがわかりました。

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  3. 高くて650m低いと100m台の山々なれど、実に面白い。それぞれが生活や信仰、勢力争いの場であるから人間臭さに満ちている。現代は山とどのように付き合っているかは登ってみなければわかりません。登ってみると「イノシシ汁」を御馳走になる。昔もそうであったのかもしれないなー

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