2019年2月24日日曜日

「東の燈明ヶ岳(ひがしのとうみょうがたけ 857m)」「三国山(みくにやま 886m)」


2月24日(日) 0500起床 (---)
天気 晴れ
気温 -1℃

今日も大阪府・和歌山県境の和泉山脈の山を登る

「東の燈明ヶ岳(ひがしのとうみょうがたけ 857m)」
歩行距離 2.8㎞ 所要時間 1時間20分 総上昇量 222m 移動平均速 3.5㎞(全体平均速
 2.0㎞)

0810時 堀越癪観音駐車場発
0845時~0850時 展望台
0850時 「東の燈明ヶ岳(ひがしのとうみょうがたけ 857m)」山頂
0925時 登山口駐車場
0930時 堀越癪観音駐車場着

かつらぎ町堀越を下から見上げてよくもあの高みに集落がある事と驚きつつ、コンクリート舗装された狭い道路、これでもかと云う急坂をライトを点けて対向車が来ないことを祈りつつ登る




















堀越癪観音は標高640mの高みに在り境内に大きな銀杏が立っている。南へ紀の川を越えて紀伊の南の山が一望、お見事の一語。








堀越癪観音の左上へ畑の脇道から杉林に入るも、微かな踏み跡があるのみ本道ではないらしい。













それでも踏み跡を辿ると本道のから林道に上がる











合流して3分歩くと頂上への遊歩道が分岐し左手に木製の展望台が建ち、南面に紀伊半島の山並みが広がる。














左手側梢の先は高野山の山が遠くに霞んで見える












展望台のすぐ先が「東の燈明ヶ岳(ひがしのとうみょうがたけ 857m)」、役行者の座像が祀られたお堂がある。都会に近接し山にも拘らず、高野山も和泉山脈の山々も風が渡るのみで静か、静寂そのものである。山頂は杉林に囲まれており展望はない







下りは本道を下ると駐車場に行き着く。















堀越癪観音駐車場から道路を少し進んだ地点の登山口駐車場とトイレである。
山頂往復一時間二十分、脇道も適当に上がれば山頂に行き着くと云う訳である









串柿の里とは、道路脇に串柿用の干し棚、干し竿がずらり一列に並んでいる。時期になると竿にズラリ串柿が下がるわけだから、串柿の簾がさぞ見事な事であろう









堀越癪観音の谷向の東大久保集落に上がると急斜面、緩斜面一面見事な柿畑が広がり、その先に紀伊の山々が一望、絶景が欲しいままの集落である









その集落から、堀越癪観音のある堀越集落がこれでもかと云う急斜面に建っていることが確認できる
串柿日本一と云う看板は見なかったけれど、山の斜面を完璧に使い切った柿畑、そして串柿、剪定梯子に乗って剪定中のお婆さん、地域資源で稼ぐだけ稼ぐさぞ力が入る事だろう






「三国山(みくにやま 886m)」








東大久保集落から林道を稜線まで上がり稜線に付けられた林道に合流する。
稜線の林道を5分も走ると「三国山 886m」の標識が林道わきに建っている。

ここが「三国山(みくにやま 886m)」山頂の一帯と云う事らしい







林道脇の小高い地点に上がるも「三国山」と云う手造りの山頂標識が木の枝に掛かっているのみ、三角点が無い。
「三国山」まで「東の燈明ヶ岳」峰伝いに歩くと約二時間かかる。登山道が杉林に延びている。一人のトレランと「東燈明ヶ岳」で出会ったのでここまでか、さらに先までこの峰を楽しむのであろう
楽しみ方は色々である







稜線の林道に「七越峠茶店跡」の石板と
















峠越の案内板がある

















その根元には「天保00年」と刻まれた石柱が建ててある。
昔々の峠道の活躍、人々の賑やかな往来があった証である

















谷に下ると道の駅「くしがきの里」の駐車場は満車状態、地元産品の売り場も混雑している。山行のお昼、行動食用にと名物「串柿」を購入する
明日、山から串柿の里を眺めながら食べるとしよう

2 件のコメント:

  1. こんばんは
    大阪から近いところに超有名な山があるとなると、日本だけでなく外国人も多いと言われましたね。
    人口減少社会に突入している日本において、20年30年後はどうなることでしょう。
    山を歩かれ歴史を感じて、どう感じますか?その道を山をどんだけの人が歩いたのでしょう。

    人生も職場も仕事も、人を動かすのが難しい。
    成功して当たり前、失敗すれば責任を言われる。何もしないと生まれない。
    人も少なくなるし、コンビニの夜間閉店も時代なのかもしれないですね。

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  2. 古いものを捨てない、即ち地域資源を捨てない、だからこそ外国人も多い。そう気付きます。江戸の昔、人口は3千万人だったと云う、それであの歴史を刻んでいる。その歴史が此処に在り、其処に外国人が訪れる。20年後も30年後も日本はこうあり続けるのでしょう。そのことを確信しています。
    人に気遣うことを止め、頑固一徹これだと思い定めた未来にに向かって一直線、周りを気にしていては其処には行き着かないし出来ない。成功は其処に在り、失敗はない。心を決めて行くしかないのです。思った道が正解です。行き着き出来たらわかる事です

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