2019年2月16日土曜日

世界遺産「高野参詣道 三谷坂」を歩く


2月16日(土) 0400起床 (---)
天気 曇りのち晴れ
気温 3℃

夜明けまで降っていた雨は止むも厚い雲に覆われた空は明けず、明るくなったのは0700時を過ぎる
明けるのを待って出発、世界遺産「高野参詣道 三谷坂」起点の「丹生酒殿神社」にお参りする











起点「丹生酒殿神社」から登って行きたいのだが長時間駐車禁止とあるので、終点の「丹生都比売神社」から世界遺産区間の高野参詣道を時計回りに「笠松峠」「頬切地蔵」「六本杉」「古峠」「二ツ鳥居」「八町坂」「丹生都比売神社」と歩く





世界遺産「高野参詣道 三谷坂」
距離 8.3㎞ 所要時間 3時間43分 総上昇量 377m 移動平均速 3.7㎞(全体平均速 2.2㎞)
0810時 「丹生都比売神社」駐車場発
0836時 「笠松峠」
0858時~0903時 「頬切地蔵」
0923時 「笠松峠」
0950時~1000時 「六本松」「高野参詣道 町石道」合流
1030時~1034時 「小都知ノ峰(おづちのみね)684m」山頂
1049時 「高野参詣道 町石道」合流
1054時 「古峠」南海高野線上古沢駅分岐
1100時~1110時 「二ツ鳥居」
1152時 「丹生都比売神社」駐車場着


参詣道の入り口、分岐などの要所には案内板が設置され案内地図を参考に歩けるようになっている














世界遺産区間の「三谷坂」は、杉林の中深く抉れた小広い道である
抉れの深さが高野参詣道の経た時代を物語っているのであろう










笠松峠から起点の「丹生酒殿神社」に向かって下る坂道も「頬切地蔵」までは世界遺産区間である。急な坂が杉林の中に続いている













鎌倉時代初期と云う「頬切地蔵」は、














杉林の中の平坦地に建ち沢水が引かれ休憩舎が建つ












「頬切地蔵」には屋根が掛けられ「高野槙」が活けられている
静かな杉林の中で鎌倉時代を見ているのかと思うと不思議な気がする。目前で過去と現在が行き来している









笠松峠に登り返して「六本杉」に向かう

















良く踏まれた杉林の道は、小さなアップダウンで六本杉に続いている








「六本杉」で「高野参詣道 町石道」と合流する











名前由来の「六本杉」はないが切り開かれた広場は、杉林に囲まれている
案内板の「丹生都比売神社」から「笠松峠」、「笠松峠」から「頬切地蔵」を往復して「六本杉」に到り、此れから「小都知ノ峰」経由で「古峠」「二ツ鳥居」そして「八町坂」経由で「丹生都比売神社」と云う道順で歩く






「百三十三町石」で「高野参詣道 町石道」と分岐、「小都知ノ峰」へ稜線を歩く   



















トレッカーは、「小都知ノ峰」をトラバースする「高野参詣道 町石道」を歩いている















我々は稜線上の踏み跡の薄い「小都知ノ峰」への急坂を登る
灌木の樹間を透かして下方の「高野山参詣道 町石道」のある尾根がかすかに見えるのみ





「小都知ノ峰(おづちのみね)984m」の山頂も、灌木の中に石組があるのみ展望は効かない



















小さな山頂標識が木に懸かり、強くなった北風に揺れている













「小都知ノ峰」山頂からの下りの踏み跡は、さらに倒木が多くなり急斜面を転げないように慎重に下り「高野参詣道 町石道」に合流する
歩きにくい踏み跡とは言え、山屋にとっては小広く、整地された参詣道より気持ちにぴったし来るから不思議、踏み跡が心地よい








古峠には町石と標識と案内板が建つ


















「高野参詣道 町石道」のエスケープルートが南海高野線「上古沢駅」へ下っている
案内板の充実ぶりは目を見張るものがある













「古峠」から5分歩くと「天野の里」が眼下に其処だけぽっかりと「桃源郷」と云われた景観が広がっている。










その横に「二ツ鳥居」が建つ、

















弘仁十年(819年)5月3日弘法大師建つとあり、1649年5月現在の石づくりにと説明にある
819年から2019年までの1200年の「時」の現実を見せられると、頭がくらくら混乱する。







神社仏閣、太古から息づく火の山や山塊を訪れ、歩いてもここまでは混乱しない。
どうも道中道々にこの1200年の篤さが溢れ、この1200年にどっぷり浸かって歩いているせいである









「二ツ鳥居」から「丹生都比売神社」に向かって「八町坂」の急坂を下る
「八町坂」も小広くかつ深く抉れた急坂で一気に「天野の里」に下る










「天野の里」にも、「院の墓」、西行堂、













そして僧俊寛ゆかりの「有王丸の墓」が残る
至る所に1200年が散在する












道の両側には「高野槙」が植えられ、信仰と一体の暮らしが此処にはある















一枚岩盤を渡した参道の橋を渡り頭は混乱したまま「丹生島比売神社」の駐車場に帰りついた。


 

2 件のコメント:

  1. おはようございます。
    サインがしっかりしてますね。
    やはり手の入れようが違う。歴史も違うが想いが違う。
    そんな大切に想う人のリレーで保存さらている。大切なことだ。
    さて、二月も半ばを過ぎました。
    寒さが和らぐと聞いてます。
    こちらも日曜日は凄く良い天気でした。

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  2. 「何故此処に居るか」をよく理解した「サイン」になっている。それはこっちです、此処はこうです等など致せり尽くせり。持っていても中々ここまでレベルは上がらない。世界遺産だからではないことが知れます。
    最早世界水準ではないと事は起こらないと見ました

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