2019年2月21日木曜日

高野女人道・高野七口女人堂を巡る


2月21日(木) 0500起床 (---)
天気 曇り
気温 5℃

女人禁制であった高野山は、高野山の各入口に女人のための籠り堂として女人堂が建てられ、女人は高野を囲む峰々を巡ったと云われる。
今日は、高野山への「町石道・黒河道・京大阪道・小辺路・大峰道・有田龍神道・相の浦道」各道の入り口に建てられた女人堂(跡)を巡る

高野女人道・高野七口女人堂
歩行距離 11.4㎞ 所要時間 4時間40分 総上昇量 267m 移動平均速 4.0㎞(全体平均速 2.4㎞)

0730時 高野山大門発
1020時 中の橋
1100時 お接待
1210時 中の橋バス停






高野女人道を大門から中の橋へ歩く、途中「相の浦口女人堂跡」、「大滝口女人堂跡」「大峰口女人堂跡」がある












大門から女人道を辿ると、杉林の道が町家の中の道に変わりそこからまた杉林の道になると云う高野山の聖地のぎりぎりを女人道が通っている。
最初に現れたのは、「相の浦女人堂跡」









相浦に通じる相の浦道の道脇に案内板と石像があるのみだが














相浦へ通じる道が杉林の中に伸びているのを見ると不思議と昔々の賑やかさが漂う













南側が伐採され明るい展望が開ける轆轤峠への道を登る。山は幾重にも重なり遥か熊野へ続く、













其の熊野へ高野山から通じる道が「小辺路」、大滝口である










大滝口女人堂跡の案内板が建つ
















其処には、大滝口から熊野本宮まで辿る熊野参詣道小辺路が山腹に付けられている














今は車の轍が残る「小辺路」を暫く歩く、熊野まで三日歩くと云う長い道を昔々の参詣者は一心に歩いたであろう。この道の歴史の中を歩くと云うのは浮遊感がある








高野女人道の途中に「円通律寺」が建つ、
















この寺は修行道場で山門から中には入れない、尚且つ今なお女人禁制である。頑なこと、守ると云う事、変わらないと云う事、それが此処にある。








薄暗い峠に到ると小さなお堂が建つ













「大峰口女人堂跡」である











女人道を中の橋に近づくにつれ線香の香りが女人道を包むようになる
昔々も女人道を線香の香りが包んでいたとすれば、歩く女人にとっては参詣道を歩いてきたからこその喜びを味わう至福の瞬間であった事だろう。ふんわり漂う微かな香りは祈りの聖地未だ昔である













中の橋から奥の院へ歩くと「豊臣秀吉の墓所」「織田信長の墓所」があり、中々歩が進まない。
大勢の僧が読経する中を「弘法大師御廟」にお参りする









お参りを済ませ帰ろうとすると「ぜんざいのお接待をしています」と声が掛かる













お餅が二個入ったぜんざいを有難く頂く
日中の気温が1℃から2℃の今日は、暖かいぜんざいが最高のお接待である










その後も、「明智光秀の墓所」や「石田三成の墓所」「島津家の墓所」等を見学していると先に進めない。
結局、中の橋バス停からバスで大門に帰り、山旅号で唯一今にお堂が残る「不動坂女人道」に行く。







灯が燈るお堂が道路際に立っている。
女人にとっての堂は高野山そのものであるのだとぐるり回って納得する













「黒河口と「黒河女人堂跡」を探すも見当たらない、ようやく見つけた立て札は道路の山留ブロックの天端に建っている。











「黒河道」が拡幅車道となったためであろう。
高野女人道、高野七口女人道は、大きく姿を変えているものの歩いて辿ると歴史が次々と想起される不思議な道である 
歴史の道は歩いてみればを楽しめても、現実は大勢の訪問者の対応に四苦八苦は窺える
今夜の宿は高野山宿坊「恵光院」、精進料理を頂く

2 件のコメント:

  1. おはようございます。
    人気のスポットなんですね。
    歴史好きにはたまらない場所、それにしても寒そうですね。凍えそうなときにおもてなしは嬉しい。
    どこでもそうでふが、人手不足は深刻で対応大変そうですね。
    セルフから人工知能に変わっていくのかもしれないですね。

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  2. 轢死の中に身を置くと云う事がこれほどまでに自己を振り返ることになると云う事を初めて体験しています。1200年間の死と無数の墓群を目の当たりだから生が愛おしくなる。こういう感覚は現場に建たないと生まれない。やはり現場です。

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