4月15日(月) 0500起床 (ーーー)
天気 晴れ
気温 11℃
昨日、鳥羽市営定期船乗場佐田浜の駐車場は一日置くと2000円掛ると係りのお兄さんが言う。近鉄中之郷駅駅に駐車場があり確か500円/日だと教えて貰う。
実際は300円/日、歩いて5分で鳥羽市営定期船乗場中之郷である。
0727時発中之郷発、佐多浜で別船に乗り換えて神島へ、低気圧通過後の北西風で伊勢湾は時化ている。波しぶきの先に神島が見える
0820時 神島着、「三島文学 潮騒の地」の記念碑が立つ
「潮騒」の舞台を歩く
「洗濯場」「八代神社」
「神島灯台」から「燈明山」を訪ね、「監的哨」「ニワの浜」「カルスト地形」「船揚場前」と巡る
「潮騒」は神島が舞台で、作家三島由紀夫は取材で昭和28年(1953年)二度渡っている
昭和29年刊行である
三島は昭和28年川端康成に送った手紙の中で神島について「人口千二百、三百、戸数二百戸、映画館もパチンコ屋も呑屋も喫茶店も、全て”よごれた〟ものは何もありません。この僕まで忽ち浄化されて、毎朝六時半に起きている始末です。ここには本当の人間の生活が在りそうです」と書き送ったと記す
港から住家の並ぶ狭い坂の路地を「八代神社」に向かって上がる
途中、小さな水流が流れ落ちる路地脇の水路に「洗濯場」の案内板が立つ
小さな窪みには水が溜まり洗濯場は今でも使える
鳥居を潜り苔むした切り石の階段を上がると港を見下ろす高台の「八代神社」に登りつく
小さな社が建つ
祭神は「綿津見命」、海生きる島の人々の守り神である
遊歩道を進むと「伊良湖岬」が突然目の前に現れる。近い。
「神島」と「伊良湖岬」の瀬戸は海の難所であるため、明治期「神島灯台」が建てられたとある
白い灯台が崖の上に建ち、瀬戸を大型船が何隻も航行する
落花した椿の花が覆う遊歩道の階段を上がり「燈明山」に向かう
遊歩道から分岐する歩道を5分で「燈明山(とうみょうやま 171m)」山頂、常緑樹の中で展望はない。山頂カードが何枚も木に掛かっている。人気の島、この山も訪れる人が多いのだろう
山頂から遊歩道に戻り、「監的哨」に向かい階段を下る。風が当たらない島の南側は、太陽が照りつけ汗ばむ。
戦時中、試射弾の着弾点を確認するために設けられた施設と記されている
建物屋上から「伊良湖岬」と瀬戸が一望、大型船が行き交う
「潮騒」の一番重要な場面ヲ担う
遊歩道を更に海岸に向かって下ると小さな入り江の海岸に下り立つ、「ニワの浜」
石浜の海岸から白い岩の尖塔が幾つも立つ、カルスト地形である。
白い岩と青い海、そして石の浜、波音だけがする、映画の撮影に使われた場所と説明がある
風が吹くも日差しが暑い、ハマダイコンの花が咲く
島で唯一の砂の浜が「ゴリの浜」、浜の真ん中に大きな岩が鎮座する。その大岩の先には志摩半島の先端が霞の中に薄っすら浮かんでいる
帰り着いた港に船揚げ場がある
船揚げ場も「潮騒」の重要な舞台、映画の一場面が載せてある
船揚げ場には誰もいない
「灯明山」を経由した島巡り一周3.5㎞、所要時間1時間45分、風が渡る島の海を眺めながら
「潮騒」の舞台を歩く。建物は大きくなり、コンクリートの建物もあり、港には多くの漁船が係留されている。作家三島由紀夫が訪ねた時代とは景色は大きく違うだろう
しかし、海と暮らす生活は少しも変わらないのだ。
神島小学校五年生の女の子が書いた詩が待合所の壁に掛かっている
「タッチ、ギュット、チュッ」という詩、「おとうさんはまきあみせんのりょうし、まいにちよるのうみにでていく、おじいさんもおじいさんのおとうともうみでしんだ、わたしはおとうさんがしんぱいでたまりません、がっこうからいそいでかえっておとうさんと”タッチ、ギュット、チュッ〟とする。わたしはおとうさんをそんけいしている」
概ねこういう詩である。
作家三島由紀夫の訪れた島は、人の風景に今も昔のまま残っている
おはようございます。
返信削除山旅号をおいておいて島の山に登るのも北海道以来?でしょうか?
しっかり観光地化されており、おもてなしはどうでしたでしょうか?
全国離島サミットではこのような島からもこられるんです。
名古屋に近いですが、生活はさほど変わらない。
離島は厳しいが楽しいこともあります。
渡って見れば「潮騒」一色、僅か数㎞の島、語る必要もないくらい。それでも海も島も、歩道も美しい。渡って見なければ、歩いてみなければ分からない。何時ものことなのだけれど、頭で理解してもダメ、現場を歩くに限ります
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