2019年4月5日金曜日

熊野古道「伊勢路(八鬼山(やきやま 647m))」を歩く


4月5日(金) 0515起床 (---)
天気 晴れ
気温 5℃

昨夕は紀伊に入って初めての「ホルモン三昧」、たっぷり頂いて疲れを取り明日以降の山行に備え十分である














熊野古道「伊勢路(八鬼山(やきやま 647m))」
歩行距離 9.1㎞ 所要時間 5時間41分 そう上昇量 540m 移動平均速 3.4㎞(全体平均速 1.6㎞)

0630時 駐車場発
0635時 熊野古道「伊勢路(八鬼山)」口
0815時~0720時 籠立場
0857時 九木峠
0912時 荒神堂
0935時 「八鬼山(やきやま 647m)」
0945時~0955時 桜の森広場
1002時 「八鬼山峠」
1013時 荒神堂
1023時 九木峠
1130時 籠立場
1206時 熊野古道「伊勢路(八鬼山)」口
1211時 駐車場着

熊野古道「伊勢路」は、伊勢参宮を終え西国三十三ヶ所第一番札所「那智山青岸渡寺」へ向かう巡礼者が最盛期には年間数万人通行したと云う















熊野古道「伊勢路(八鬼山)」は」九木峠までほぼ全線が石畳である。
「西国第一の難所」と云われ険しい峠道とその山路に狼や追剥が出没旅人におそれられたという。「行き倒れ巡礼供養塔」「茶屋跡」「籠立場」「清順上人供養塔」「町石」「一里塚」」「荒神堂」等史跡が残りそれぞれに案内板が建つ









籠立場の町石「地蔵尊」が水場の脇に立つ、籠立場は「紀州藩主」や幕府の「巡検使」が籠を止めて休憩した場所、其処に立つ「町石」は八鬼山迄五十町に置かれた五十体のうち現存する三十三体の一体と云う








石畳の脇には「行き倒れ巡礼の墓」もある




















石畳を上がっていると漸く石畳に朝日が射し込む、苔むした石が鮮やかに生き返る



















七曲りの難所にかかる。西国第一の難所「八鬼山越え」その中の「大難所」の七曲りは、280m区間に石畳を敷き詰めたつづら折りの急坂である

















「七曲り」を登る終えると坂道―平坦道―坂道―平坦道と交互に道づくりがなされ先人たちの工夫と苦心の跡が随所にみられると説明板に記す









石畳は杉と檜の林の中を上へ上へと延びている















上がりついた峠が「九木峠」、石の道標が立ち木製の案内板が行く先を示す











緩くなった古道を進むと傷んだ「荒神堂」に到る。「高さ1m、三面六臂の石像三方荒神立像」が祀られているという。西国三十三番札所第一番札所の「前札所」として旅の安全を願って参詣したと云う。






急な杉林の中の石畳を登って行くと「八鬼山峠」江戸道と明治道の分岐に上がる











案内板には、「八鬼山峠」「三木峠茶屋跡」が併記されている
明治道は、荒れており通行を勧めていない














峠の背後の高みが「八鬼山(ヤキヤマ 647m)」山頂、樹林の中展望はない












展望は、八鬼山峠から先に江戸道を先に進み「桜の森広場」で全開














眼下に九鬼湾と熊野灘が広がる、苦しい登り恐ろしい峠道から解放される展望だろう











苔むした石畳を滑らぬように転ばぬように慎重に下ると、青い空の下に桜は満開大勢の花見客でにぎわう


















山旅号も桜吹雪のなかである
年間4000㎜の豪雨対策のためという石畳は、その堅牢さに溜息、半端ない石の大きさに驚愕、組合せの粋に感動する
熊野古道の石畳は、年間数万人の巡礼者の足を守った紀伊の人々の道でもある

2 件のコメント:

  1. こんにちは
    久しぶりに奥様も一緒に山行きですね。
    寒いし、厳しい山ばかりでしたので、奥様はお留守番だったのですね。

    平成が今月で終わり来月には令和になります。
    平成31年は令和元年、その歴史的なときをどこで過ごそうか?と今考えております。
    考えることは一緒かもしれませんが、何か思い出に残ることをしたいものです。

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  2. お休み疲れらしく元気一杯でした。熊野古道の最難所を小都もなく登って行くので吃驚、楽しんでもらったようです。流石に岩ゴロゴロには連れていけないので、コースの選択が難しい。
    10連休は何処も賑やかだろうと、今から頭を抱えています。静かな山があるかどうか、どうせならその賑やかな山に身を置くかななどと思案中。
    確かに、思い出に残る瞬間をどこで迎えるか。一生の大事かもしれない

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