2022年6月10日金曜日

尼子十旗の山城「高瀬山(たかせやま 314m)」に登る


6月10(金) 0330起床 (ーーー)
天気 晴れ
気温 16℃

出雲大社から移動北上するので開門同時に参拝する



400年松の参道もこの時間は人は疎ら、神域其の儘である



日本最古の銅製鳥居の奥の拝殿にお参り



長さ13m、重さ5.2tの大注連縄の神楽殿にお参り


八足門の本殿にお参り
遥かな昔神話の世界を今に見せるという「出雲大社」は、如何なる事が有っても此れからもあり続けるのだろうと思わせる



「出雲大社」から約20㎞、1570年に毛利氏に攻められ落城した尼子十旗の山城の一つ高瀬山「高瀬城跡」に登る。1570年は織田信長・徳川家康軍が姉川の戦いで朝倉・浅井軍に敗れた織田信長の台頭の時期である。戦国時代真只中の山城である

「高瀬山(たかせやま 314m)」(高瀬城址)
歩行距離 3㎞ 所要時間 2時間 総上昇量 246m 移動平均速 3.4㎞(全体平均速 1.5㎞)

0740時 登山口発
0758時 固屋谷・神庭谷分岐
0840時~0852時 「高瀬山(たかせやま 314m)」山頂:「高瀬城址 地名:甲の丸(つめのまり)大高瀬」
0913時~0917時 二の丸
0942時 固屋谷・神庭谷分岐
0950時 登山口着

山陰自動車道斐川I.C西の高い橋脚の橋を潜った先が登山口、路肩に二~三台の駐車場がある



登山口に「高瀬城址」の案内板が有る、戦国時代真只中、中央では織田信長が台頭していく時代である


登山口発0750時、すでに気温は20℃を越えて暑い、且つ無風、熱がが谷に溜まって行く



十分上がると「固屋谷・神庭谷」への分岐を分ける



少し歩くと「三の丸(鉄砲立)」、狭い岩稜から両谷を見通せる絶好の拠点である



この地点から「高瀬山(たかせやま 314m)」(高瀬城址)を見上げると、最奥が山頂城址である。



少し進むと展望地、中国自動車道の高い橋脚の橋の先に出雲平野、その奥に「出雲北山」「松江北山」が連なる。確かに絶好の見晴らしで拠点である。



さらに進むと二の丸に上がる七曲の急坂



上がると「駄置場」、兵糧を貯蔵した箇所



説明板に詳しい



足場階段を上がり、いくつかの平場(郭)を上がると



二段になった先に「高瀬山(たかせやま 314m)」(高瀬城址)山頂



「高瀬山(たかせやま 314m)」標柱は(高瀬城址 甲の丸(つめのまり) 主郭)とある



北東に「宍道湖」から松江に繋がる街並みが見え



北に「出雲北山」から東へ「松江北山」が見えると云う絶景ポイントに築かれている。


神話時代と戦国戦乱の1570年が同居しているが全く違和感がない、その時代の痕跡が体に馴染み、見てもいない時代の記憶が蘇る
何とも初めて経験する山旅になっている

登山道脇に木の名札が下がり「出雲斐川尼子十旗顕彰会」と記されている。
良く手入れされ踏まれた登山道と高瀬城址の刈払と郭の伐採と整備が行き届いている。




それもこれも神話のおとぎ話と絵巻そして戦国戦乱の時代史と同居すると地域の力なのだろう


百年後も生き続ける街づくりと云うがこの地は既に「2000年」を越えている。
百年を見据えた街づくりはいとも簡単なように思えて来る。                                                                                                                         




2 件のコメント:

  1. ぬの にんに2022年6月14日 21:03

    こんばんは
    奥さま、復活!!
    出雲大社で天気よく、山行きも最高ですね。
    本日は妻の誕生日。これで2人揃って還暦になりました。
    ドタバタしてましたが、誕生日プレゼントも間に合い、色々な人のおかがで料理もケーキも間に合いました。
    さあ、お二人のように話がシメられる、第二の人生が送れるように気張らんとです。

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  2. 仲良くが一番、そしてたまに喧嘩でガスを抜く。とは言っても仕事は記を抜けない、その両立ももう暫し楽しむしかないでしょう。その後が再びの出発点、考えたって始まらない好きなこと、やりたいことをやるだけです。問題は「踏み出せるかかどうか」だけ。果たして・・・?

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