2018年4月19日木曜日

「倉戸山(くらとやま 1169.3m)」「三頭山(みとうさん 1531m)」に登る


4月19日(木) 0330起床 (---)
天気 ガスのち晴れ
気温 10℃

奥多摩湖の都民の森に向かうべく車を走らせると奥多摩湖周遊道路は「通行止め」、0800時開門である
ならば開門までの時間を利用して山を登りたい

「倉戸山(くらとやま 1169.3m
歩行距離 8.3㎞ 所要時間 2時間52分 総上昇量 604m 移動平均速 4.6㎞(全体平均速 2.9㎞)

0522時 奥多摩湖駐車場発
0534時 倉戸口バス停
0546時 温泉神社口
0615時 尾根
0707時~0720時 「倉戸山(くらとやま 1169.3m)」山頂
0740時 尾根
0755時 温泉神社口
0801時 倉戸バス停
0814時 奥多摩湖駐車場着

湖岸の道路を登山口へ向かって歩く。路肩の小さなスペースに車が停まっている。道路下の水際に釣り人が座っている、へら師のようである
バス停から斜面に付けられた近道の踏み跡を登る
温泉神社の階段下に上がる









此処から一気呵成、一直線の登りが始まる
容赦のない傾斜の斜面に付けられた細い登山道を斜上する















急斜面から尾根に上がるも斜度は落ちない、ガスの林をひたすら頑張る
杉とヒノキの人工林が切れたところでガスも切れ始める












ガスが切れた斜面の先、ブナとコナラ主体の林の緑が小さく綺麗である
奥多摩湖を挟んで対面の御前山が灌木の林の中で黒々と高い











「倉戸山(くらとやま 1169.3m)」山頂は広い林の中である
林を透かして富士山が見え、湖岸対岸の三頭山、御前山が近い










山頂下の林は殊の外美しい















谷向いの「六ッ石山」の斜面が広大で新緑が鮮やかである
この山、兎に角急斜面の登りを如何に処するかに掛かっている
兎に角ペースを乱さない、此れに限る









「三頭山(みとうさん 1531m)」
歩行距離 7.9㎞ 所要時間 3時間13分 総上昇量 610m 移動平均速 4.0㎞(全体平均速 2.5㎞)

0915時 都民の森駐車場発
0822時 森の館
0835時 鞘口峠
1011時~1017時 見晴小屋
1050時 「三頭山東峰(みとうさんとうほう 1525.5m)」
1053時 「三頭山中央峰(みとうさんちゅうおうほう 1531m)」
1059時 「三頭山西峰(みとうさんせいほう 1524.5m)」
1130時 「大沢山(おおさわやま 1482m)」
1220時 森の館
1228時 都民の森駐車場着

上がりつくと既に都民の森駐車場は、大賑わいである。バイクに車、ハイカーが大勢である
駐車場から10分、舗装道路を上がると













木工や森のあれこれが詰まっている「森の館」が建ち、











「森の館」裏の急階段を上がると鞘口峠
此処から三頭山への稜線を登る。














稜線はブナの尾根で、ガレ場と滑りやすい斜面が交互に出て来る
トレイルランナーに追い越され、女性二人組を追い抜く














後日登る予定の「大岳山(おおたけさん 1525.5m)」の丸ッこい山頂が印象的である













東京都では、ブナの森は此処三頭山と日野川源流と云うから貴重なブナの森である













「三頭山東峰(みとうさんとうほう 1525.5m)」
















「三頭山中央峰(みとうさんちゅうおうほう 31m)」











「三頭山西峰(みとうさんせいほう 1524.5m)」













富士山と一枚














森の館に向けて大沢山をピストンして沢沿いに三頭大滝経由森の館に下る
行きかうハイカーは大勢、老いも若きも男も女も賑やかに登って行きます
ハイキングの山としてトレイルも整備され標識も万全運動靴でも問題なし
それでいて、急坂で攻めるから一級の登りである







下りついて、奥多摩湖を更に走り山梨県小菅村「小菅の湯」で一ッ風呂
今夜は小菅泊 

2 件のコメント:

  1. おはようございます。
    カラッと晴れて、乾燥しているので肌持ちが良いですね。
    春というより秋の空気感。
    花々が咲きホント素晴らしい季節ですね。
    トレールも整備されていても登りはキツイ。苦しいけど登りたい。そんな山々が関東平野の外側には沢山あるんですね。

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  2. 仕上がってみると「成る程こういう事であったのだ」と云う事は誰でも分かる。事が始まる時に、事が進む時に「これを分かる」と云うのは難しい。どちらかと云うと「解れ」と云う方が無茶である。しかし、分っている方々はやるっきゃない、やらなければ世に対する背信である。
    「山に登り続けてこのように思うのである」
    見透せたら見透せた人がやるしかないのです。
    何だか爺臭くなってきたなあー

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