2013年11月6日水曜日

中尊寺金色堂の「極楽浄土」


11月6日
金色堂は、覆堂に覆われその全容は外からは窺い知れない。














建立後五十年後から覆われていたというから今に当時の姿を残している。
「極楽浄土」
金色の極楽浄土の世界は撮影禁止












「お経」経堂













その境内は秋真っ盛り。




















本堂には大勢の観光客。
平安の時代から日本に連綿と続く精神世界を見ながら違和感がないのに驚いた。
「極楽浄土」も「お経」も「戦」も「権力」も。
全て今の時代にそのまま残っている。








金色堂が衆集諸共の精神世界なら、南三陸防災対策庁舎は現代の金色堂だろう。













「生きろ」「生き残れ」「生きることが全てだ」今だに叫び続けているような気がした。
「鎮魂」しつつ「生きること」を願う鉄骨が金色堂に見えたのは、私だけだろうか。











松島は「岩手県」沿岸津々浦々とは全く違う。賑やかな秋の観光真っ盛り。
松尾芭蕉も赤面かな。













今日は「松島」から少し内陸の道の駅「おおさと」
金色堂と震災の落差に一寸頭が「撃沈」気味。
麦酒で活を入れなきゃなんない。











2 件のコメント:

  1. おはようございます。連日の飲み会にかなり疲れております。
    ダイエットどころか、運動は朝通勤の時に歩くのみで、財布だけがダイエット!頑張るしかないと言い聞かせ毎日を過ごしております。さて、南三陸を見たら本当に考えさせられますね。少子高齢化の中でどう、復興するのかな?後継者がいない漁業や農業、商店をどう再興するのか?ガラガラリセットボタンが押されたが、どうすることもできない現実がありますね。

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  2. 複眼、上から下から、天から地から、巨視も微視も、裏からも表からも、すべて必要だ。
    ただ一点「如何に稼げるようにできるか、するか」が要だ。
    あまねく「公平」にと云う視点、定規は、位置取りを変えれば「最も残酷、冷徹無比」な視点だ。平時でもこの事が説明できないと上手く行かない。現場での気づきの一つだった。

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