2018年5月15日火曜日
「三方分山(さんぽうぶんさん 1422m)」を周回する
5月15日(火) 0330起床 (ーーー)
天気 晴れ
気温 8℃
「三方分山」という名は聞かない。「三国山」は幾つも登ってきた。
名前に釣られて登る山もある。
昔の三国は知らない、今は「身延町」「甲府市」「富士河口湖町」の三国境の山である
「三方分山(さんぽうぶんさん 1422m)」
歩行距離 10.5㎞ 所要時間 4時間20分 総上昇量 762m 移動平均速 3.8㎞/h(移動平均速 2.4㎞/h)
0530時 精進湖畔県営駐車場発
0540時 精進登山口
0629時 女坂峠
0711時~0719時 「三方分山(さんぽうぶんさん 1422m)」山頂
0749時~0754時 精進峠(三ッ沢峠)
0834時 根子峠
0851時~0909時 パノラマ台
0919時 根子峠
0946時 パノラマ台登山口
0950時 精進湖畔県営駐車場着
精進湖も未だ明けきらず人影も疎ら、それでも湖面には釣り船が浮いている
駐車場から10分歩くと精進集落の登山口、沢沿いの石畳の道を「女坂峠」に向かう
昔の街道「旧中道往還」である。
「中道往還」とは、と云う案内がある
国道3号がまだ未舗装でボンネットバスが走る頃、交通事故を心配した明治生まれの祖母に「往還で遊ぶな」と云われたことを思い出した。明治生まれには街道は「往還」であって往還と云う言葉は昭和の時代はいきていたのである
「往還」の名残は、女坂峠への登りの石積に見る。落石、転石が遮る坂ながら石積みは当時の「往還」の賑わいを物語る
登り上がった「女坂峠」は、灌木の中甲府への広い道が峠下に下る明るい峠である
「阿難峠(女坂峠)」とは、と案内板がある
山中の旧道、街道、峠道は、歩いていると菅傘の昔人と歩いている錯覚に陥ることがある
人の息遣いを感じる瞬間があるのである。山に登っているご褒美なのだろう
峠にこれも有名な「首無し地蔵」が三体置かれている。時代の生き証人ならぬ「時代を知る地蔵」なのだ。
峠から所々崩落した尾根を下ると一気の登りになる。ブナとミズナラの二次林をジグを切りながら登り上がる。明るい林の中の登りは相当な急坂にも拘らず息が上がることはない
その明るいブナの林は、頂上下まで続いている、登山道も良く踏まれ明るい林の登りは気分は爽快である。
「三方分山(さんぽうぶんさん 1422m)」山頂は、林の中、展望は富士山方向のみである
切り開かれた林の先に、今朝は霞の「富士山」がある
富士五湖周辺の山から、姿形、雪形、裾のバランス、天との付き合い、様々な富士を見る。
今日の富士山が、いつも「富士山」であるような気がする
パノラマ台(夕景の富士の絶景ポイント)に向かって山頂から下る
急坂とは知ってはいても、それはそれは急坂
第一急坂、第二急坂
なんと
第三急坂、第四急坂と踊り場付きの急坂の下りである
その急坂も含めて縦走路の稜線のブナの林は美しい
ブナの森が意識して残されている、歴史の峠と数百年のブナが立つ稜線が対なのが憎い演出
縦走路を歩いた先の根子峠に、直接パノラマ台に上がる遊歩道が上がっている
遊歩道をパノラマ台に登る。ブナの森の道は「ブナのトンネル」の道でもある
上がりついた「パノラマ台」は、富士山方向が全面開放の広場である
その広場の傍らに「青木ヶ原の樹海」の生い立ちとある。パノラマ台から見る「青木ヶ原の樹海」は、それはそれは広い、その広大さで富士山の絶景を支えている
溶岩原が出現して1000年、日本の歴史年表でもかなり近い昔である。未だ生きている富士山を直に感じるパノラマ台である
富士五湖の最終「本栖湖」が見え、その奥に「竜ヶ岳」がこんもりしている
本栖湖への分岐の案内標識に「千円札の逆さ富士」ビューポイントがこちらとある
確かに「千円札に逆さ富士」が印刷されている
根子峠からの下り「ブナの春」、ブナの真っ盛りの森を小走り、ルンルンの下山
「パノラマ台」へ幾人もの人が登って来る、中に欧米人も見受けるから相当な人気である
下りついた「パノラマ台」の案内標柱もでかい、此れなら見落とさないだろう
登山口の吉田屋ホテル温泉(800円)で富士山を眺めつつ汗を流す。此れも確かに贅沢なのだ。
登録:
コメントの投稿 (Atom)
おはようございます。
返信削除本日は大阪にて先輩のブログを拝見。
街道を歩く姿に自分もタイムスリップしました。流石の表現。
今、大河ドラマ西郷どんが放送中であるが、先人は歩いて京や江戸を目指した。
江戸に向かう途中に富士山が見えるようになってからも、中々辿りつかなかったんだろう。
富士山が進行方向からどちらに見えるのか?形はどうなのか?であとどれくらいで江戸に着く、江戸を離れて名古屋や京都に着くと判断していたに違いない。
健脚、栄養面、衛生面を色々想像するに、ひ弱になった現代人との比較が分かる。
その時その時代、こんなコンクリートジャングルになることを想像すらしなかったんじゃないでしょうか?
いま、木を見直して復活することに挑戦している。長い年月がかかるのかもしれないですね。
今日も、倒木を抱いた樺が登山道脇に立っていました。樺は既に樹齢50年越えひょっとすると70年越えかも知れない。抱いている倒木は未だに朽ちてはいない。樺は倒木を抱いて50年今が抱いた証、成功の形である。山ではこの手の成功、成り立ち、森の姿が至る所である。下界で追及する成功とは、真逆な姿があります。何が成功なのかは一つではなく、幾重にも幾層にも成功の姿はあるのでしょう。それをどの様に伝え、見せ、魅力とその先の未来を伝えられるかが問われているのでしょう。樺は恐らく100年単位の主張をしている。
返信削除時間軸に重ねて事を知ることが大事なのだと気付く今日この頃です