12月24日(木) 0345起床 (---)
天気 曇り
気温 11℃
書棚から高校生用の国語辞典を引っ張り出し、調べる
「へいおん(平穏)」 *静かで穏やかなこと。平穏無事
「おりから(折から 折柄)」 *・・・のばあいだから ・・・の時節だから
*ちょうどその時 おりしも
久し振りに国語辞典を開いて、懇切丁寧な説明に頷くばかり
「読めても書けない」そんな時でもパソコンを叩くと忽ち変換してくれる
手で漢字を書くなどということは、メモ書きぐらい
試しにと開いた国語辞典で目が覚めた
「字は手で書く、漢字も仮名も」
書かないと、自分の日本語がだんだん貧しくなる
本読みは「病気」と言えるくらいだけれども、「手で書く」は少しの意識もない
「メモ」でも「走り書き」でも「思い付き」でも、これからは「手で書く」
漢字も仮名も
自分の日本語を豊かにしなければ
私たちの時代、国語・漢文・日本史で間違った漢字を書くと、不正解!!点数をもらえない時代でした。細かいとこまで留意して覚えたものですが、今はすっかり忘れてしまいましたが、間違った文字を見ると何となく気づいてしまうのは、あの頃の厳しい先生のおかげだと感謝しています。気づけば辞書を開く!私たちにしみついた”性”でしようか。これからの人たちはどのように漢字と付き合っていくのでしょうか。
返信削除知らず知らずのうちに「漢字」で感じた取ったことを表そうとしている自分がいます。ひらがなでもなく、カタカナでもなく、決してアルファベットではありません。「あお」一つでも「青」「蒼」「藍」「碧」。黒を青、白を青とも言うことを知っているので青の広がりは無辺。この漢字的感覚が山旅を豊かにしてくれているような気がします。大辞林からコンパクト辞典、付き合いがいがあります
返信削除こんにちは、そうですね。
返信削除読めるのと書けるでは大きな違いがありますね。読めて書けないものばかりです。簡単な字でもメモもパソコンやスマホでやっているので頭が退化するばかりです。
兎に角、書く事が退化した頭をリフレッシュする良い方法かもしれまさんね。
活字に飢える時がある。活字イコール「漢字」だと思う。本を読むとき、それも超音速で読む時には「漢字」だけを拾って読んでいるような。文の中の「漢字」を、なぜこの漢字か?、この漢字の意味するところとイメージは?を自分で勝手に確定して読み進んでいるのではないかしらん。だから余計漢字に飢えるのかもしれない
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