2019年11月2日土曜日

「権現山(ごんげんやま 565m)」に登る


11月2日(土) 0610起床 (---)
天気 快晴
気温 8℃

昨日は山を下りて鯖江市の道の駅「西山公園」で泊、道の駅に近い焼肉「金星Ⅱ」で越前焼き肉をいただいて爆睡、思いっきりの朝寝に飛び起きる
とは言っても、道の駅から12㎞走った先の「権現山(ごんげんやま 565m)」の「佐々木小次郎」に会いに行くので余裕は十分である。

「権現山(ごんげんやま 565m)」
歩行距離 6.1㎞ 所要時間 4時間09分 総上昇量 490m 移動平均速 4.1㎞(全体平均速 1.4㎞)

0816時 権現山・柳ノ滝登山口発
0925時 夫婦滝
1002時 「権現山(ごんげんやま 565m)」山頂
1025時~1030時 鞍の上展望台
1045時~1050時 「権現山(ごんげんやま 565m)」山頂
1225時 表参道経由権現山・柳ノ滝登山口着

時代小説はよく読むのだけれど「剣豪 佐々木小次郎」の生誕地が越前市とは記憶の端っこにもない。「権現山」へはその「剣豪 佐々木小次郎」を記念した「小次郎公園」を目標に山旅号を走らせる。今日は「剣豪 佐々木小次郎」に会いに「権現山」に登る









「権現山」へ「柳ノ滝」の五つの滝を経由する裏参道から登り表参道を下る予定で出発する。












五つの滝から「権現山」へそして表参道から「権現山」へのルートが案内板に赤線で記されている












その五つの滝とコースの概要、「権現山」の謂れが紹介されている
見たいのは不動滝の「小六」と松ヶ嶽神社の「大モミ」






 
五つの滝のうち一番下の滝が「不動滝」

















「剣豪 佐々木小次郎」が幼名「小六」のころ修業したという滝である。燕返しの生まれた谷と滝である








滝の岩壁に彫られた「不動明王」の40㎝右、苔むした岩に「小六」の彫が浮かぶ
「剣豪 佐々木小次郎」此処にあり















お釜の滝
















布滝


















窓滝


















夫婦滝
何れも水量はないものの黒い岩壁を白い筋、帯、飛沫をあげて落ちている


















遊歩道は整備されて年を経て落石や崩土、倒木、夏草があるも、しっかりした踏み跡が続き、歩道もしっかりしている。夫婦滝から山頂に向かって杉林の中の急坂を登る















山頂下に「松ヶ嶽神社」の「大モミ」が立つ

















至る所瘤だらけの幹は異相、異形である


















巨木故に、異形故にその迫力は圧倒的である




















山頂一帯で圧倒的な存在感、他を睥睨している



















登っていくと「権現山」山頂の「松ヶ嶽神社」が見えてくる














長年に亘り風雪と暴風にさらされた社は傾ぎワイヤーで四方が固縛されている














「雨乞いの神」と記され「雨乞いの踊」を読むことができる










「権現山(ごんげんやま 565m)」山頂は木立の中で、木の間越しに鯖江の市街地が見えるのみである









山頂から三峰神社に少し下り「鞍の上展望台」に上がる



















「鞍の上展望台」からは杉のてっぺん越しに周囲の山「日野山」を見る
















「冠山」から「鐘草山」の稜線が遠く薄く見えている








山頂の楓はようやく色づき始めたばかり、これから楽しめる

















山頂から表参道を下る。その下りの九割は急坂、激坂の連続、連れの慎重なくだりが延々と続く













無事下り着き、「小次郎公園」から「権現山」を見る。「標高565m」の山の様相は「深山」「幽谷」、そこで「剣豪 佐々木小次郎」に出会えるから楽しい。

2 件のコメント:

  1. お疲れ様です。
    2日は富士山の2号目までクルマで連れて行ってもらい、富士山の大きさを実感。
    また、裾野の木々の深さに感動しました。
    その後、白糸の滝に行き滝壺のマイナスイオンと虹のコントラストに癒されることでした。
    先輩も偶然に滝の写真。
    ホント癒されますね。
    その後東京に戻り、東京モーターショーへ。人、ひと、人、ヒト、そして歩く、歩く、アルク。革靴でホントに疲れました。笑笑 
    本日は自然とヒトに体験をした良い日でした。

    返信削除
  2. こっちは、滝をめぐり山に登る二人旅。静かな山を楽しんでいる。山を歩いて思うこと「日本の90%は田舎」「その田舎の90%は山」。移動中のラジオを聴きながらこれらの90%の話題は10%もないことに気付く。物と事が「集中する人」「人が集中した都市」「州したことによる事故事件」に偏っているように思います。ゆっくり流れる時間、たっぷり残る豊かな自然、そこに暮らす人達のことが、30%でも40%でも流れることになればこの世の中変わるような気がする。田舎には情報があふれていても、田舎の情報は都市にはないに等しい。たまに街に出るとつくづくそう思う

    返信削除