2014年3月11日火曜日

大鰐温泉で体のメンテナンス、「永遠のゼロ」で心のメンテナンスでした


3月11日
今日は完全休養と決めていたので大鰐温泉に湯浴み。














共同浴場に入りたかったが駐車場を探せなくて「鰐come」温泉に入った
山行はしてないけれどもゆっくり体のメンテナンス。
腰も肩も緩々になった。
無色透明のツルツル温泉、熱い浴槽もあって快適。
男女の浴槽が日によって入れ替わると書いてあった。
大鰐温泉駅の目の前、駅に温泉があるという仕掛け、歴史付き物語付きの温泉だから下りたくなるはず。駐車場も満杯だった。
湯上りに缶ビール飲んでるおじさんが何ともいい雰囲気だった。
体がほかほかのまま昨日の続きで「永遠のゼロ」を読み継ぐ。
傍らに大鰐温泉で仕入れた
「大鰐温泉もやしの酢の物」
このもやし、長さが30㎝程ある。なわで5㎝径ほどに縄で束ねて売っていた。
細く長いもやしの酢の物。









「ハタハタの飯鮨し」
程良い酸味と甘さ、魚の油と爽やかな臭み、もち米の発酵のコクがなかなかである













「ニシン漬」
筍、蕨、人参、白菜、大根の野菜と身欠きにしんがちょっとショッパイ漬物になっている。
東北ならではの味を噛みしめている








太平洋戦争で歴史が切れ、新たな歴史が始まった。戦前と戦後は別物と云う事に違和感を感じていたのは私だけだろうか。私の周りにも戦争未亡人が私と同世代の子供を育てていた。
今より戦争はずっと身近にあった。体制が変わっても私の周りでは戦前はいっぱいあった。
逃げると云う事を許さない、背を向けず真っ向勝負が正義だった。
挑む対象が大きければ大きいほど全力を全能を尽くす、そういう環境があった。
多くの犠牲の上に今があるんだぞ、それがあったからこそ今国があるんだぞといつも言われていた。家族を守る、地域を守る、市民を守るが当たり前と思って働いた。
生きることを許さなかった時間と時代の中で、必死で生き抜こうとした「ゼロ」を、涙を流しつつ読んだ。流れる涙が止まらなかった。山旅で本読みながらとめどなく涙を流すなんて思ってもいなかった。
自分の時間を持てる今をもう一度深く噛みしめてみようと思っている。
深く感動した一日だった。
東北で感動してそれが鎮魂の日であったことに何かの縁を感じている。

2 件のコメント:

  1. おはようございます。
    今、こうして生活できるのも、あの時代の厳しい時代があったからこそ・・・。
    両親から最近は聞くことがなくなりましたが、平和はすばらしい。
    日々、忙しく動きまわっていますが。。。仕事に対する準備ができていない状態で対応し、上辺すべりしている感じです。何かが違う・・・
    もう少し、過去を振り返り、10年20年50年後を見据えた仕事の準備ができているのか疑問??
    あのころの山旅先輩の、机の上や机の中の整理整頓している姿を思い出しました。

    自分主導・・・冷たい・・・そんなに言われていた先輩は、あのときからぶれずに一直線に前を向いて、準備万端で動いていた。   とてもとてもまねできません。日々の景色も休日も楽しめず、走りながら仕事しており、、、整理しても3日・・最近は半日も机の上は持たず書類の山・・・・

    さて、今日も深呼吸し、頑張ります。
    温泉入りたいです・・・・。

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  2. 山旅は準備万端以上の、準備完璧じゃないと危なくてとても登れません。これは現役時代も一緒、目標をしっかり定めたらそこに向かって全てを準備して一気に進む。そのためのチーム、そのためのチーム力、その力を引き出すリーダー力、束ね力でしょう。結果、成果は市民に還元される。稼ぐ力がアップする。そんなこと考えていた。やるっきゃないもの。
    さて今日は汗一杯かくぞ。

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